音、時間、記憶
人は音楽でタイムトラベルが出来ると
思うのです。昔聴いていた曲をたまたま
耳にしたときに当時の香り・景色・
色合い・温もりが蘇ってきたり。初めて
聞く曲でも、それが自分の記憶を刺激す
ことは多々あります。ほんの一瞬でも
過去の幸せに触れ今の痛み紛らわせたり、
空想の世界にいざなったりすることが
できる。物理的に人間は救えなくとも、
心は護れるかもしれない。
あまりに素敵な魔法じゃあないですか🎊
(2020年8月10日のプログラムより前文)
良い人
「良い人になりなさい」
ずっと言われてきたこと。私がいま楽器の
指導を含め教育に携わるとき根底で考えて
いること。教科や技術の伝授であっても、
教育の最終目標は良い人になることだろう。
社会に貢献すること。迷惑をかけないこと。
他人を考えること。そうしたら良い運が
あって良い縁があって幸せが降ってくる、
なんて。
でも違う。自らの幸せを追い求める人は
強い。自分を一番大切にした人が結局幸せ
を掴む。誰かが泣こうと、苦しもうと、
死のうと。
でも、だから、私は困ってしまうのである。
大いなる教育の目標と実際の喜びとは相反
するのではないか。そんな矛盾を抱えながら
私は今日も人と相対する。
音楽という民主主義
音楽家は平和の徒である。アンサンブルは
対話である。共演者との間にいくら意見の
相違があろうとも、演奏会では聴衆のため
に、ひいては作曲家のために「最上」を
目指さなければならない。指揮者とそりが
合わなくとも、ボウイングが気に入らなく
とも、本番ではその時にでき得る限りの力を
傾ける。
この基礎を形作るのは他者への尊敬と信頼だ。
リハーサルで自己を押し通そうとすると軋轢が
生まれるし高圧的な態度は相手を硬化させる。
そこに「競奏」はなく「共奏」だけが在る。
よき演奏家はよき民主主義者でもあるのだ。
(2023年7月23日のプログラムより前文)
相対性理論
まだ6時間しか経っていない。何度画面を
見ても時間は遅々として進まなかった。
パリと東京を行き来していた頃-コロナ禍
初期だったと思う-飛行機のオーディオに
マーラーのアダージェットが入っている
ことがあった。当然のように聴いてみるが、
地上で聴くのと訳が違う。席はガラガラで
マスクは強制。機内の照明は落とされて
ひんやりとしている。エンジンの轟音だけが
体に響く中、F-durのハーモニーはどこか
安心感があった。
ハープの三連符に誘われ記憶がスロー
モーションで再生される。フランスの友人の
こと、日本の大切な人のこと、過去のこと、
苦しかったこと、小さな思い出たち。
窓の外は青白い。光は自分を照らすわけでも
なく、ただそこにあって虚空を満たしていた。
音楽は幸せのうちに終わる。何度も繰り返し
聴いた後、瞑っていた目を開けて視線は時計を
探す。飛行時間はいまだ6時間半らしかった。
間接照明
「リヴァイアサン」を著したホッブズは、
人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」
とした。飢え死にしそうな10人の前にパンが
1つ。分け合うのではなく、勝者一人がその
小麦を食らうであろうと。誰しも自己中心的
であり、自らの幸せを第一に考える。
欲しいのは自分だけを照らす太陽だ。
あたため、肯定し、祝福する光だ。「人間的
な、あまりに人間的な」欲望は否定することが
できない。あなたは嫌いな人間の幸せを願える
か?自分の幸福を妨げる他者を許せるか...?
「なぜ戦争は起きるのか」、この問いは
ひっくり返さなければならない。「なぜ戦争を
避けることができるのか」。視点を変えた時、
今ある状況が奇跡によって存続されていること
を知る。尊いものと分かれば大切にする
だろう。しかし失って初めて知ることしか、
大部分の人間にはできないらしい。
世界を覆い尽くすふわっとした、それでいて
人間を飲み込むような大気のどす黒さを私たち
は認識しているだろうか? 自由と多様性、寛容
と放任の違いを理解しているだろうか?
パリ・コミューンの最期、市民はペール=
ラシェーズ墓地で包囲される。絶望的な抵抗を
続けた彼らと私たちの姿が重なって見えるのは
私だけだろうか。